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cloverbooks' journal

清濁併せ呑んだいい顔の人、ナムジュン・パイクさん。

以下の原稿は、2006年にナムジュン・パイクさんが亡くなったときに「週刊ビジスタニュース」のメルマガに寄稿したものです。

パイクさんの記者会見を取材したのは、1993年にワタリウム美術館で「ナム・ジュン・パイク展」が開催されたときで、雑誌「エル・ジャポン」に紹介記事を書くためでした。

 

(以下、再録です)

 

【初出:週刊ビジスタニュース 2006年11月15日配信】

清濁併せ呑んだいい顔の人、ナムジュン・パイクさん

 今年の1月に73歳で逝去されたナム・ジュン・パイクさん(1932-2006)。編集部の上林さんから、「パイクさんについて、極私的な印象について書いてください」というリクエストをいただいた。以前、私が自分の日記で、ひじょうにミーハーにパイクさんのファンであることを書き綴っていたのを覚えておられて、ちょっとほかとはちがう視点で追悼文を、というご依頼なのだった。

 ご本人にお目にかかったのは、1993年、ワタリウム美術館でのナム・ジュン・パイク展のとき。記者会見と、その後少し、展覧会の記事を書くためにお話をうかがったのだが、私はパイクさんにひとめ惚れした。これまでたくさんのアーティストに取材させていただいてきたけれど、「いちばん好きな顔は誰?」と聞かれたら、迷わず、「パイクさん!」と私は答える。もともと好きなタイプのお顔であるうえに、「清濁併せ呑む」というか、酸いも甘いも噛み分けた上で、奥深い、でも、よけいなものは抜け落ちたサッパリしたお顔で、「うわ、いい顔してるなぁ」と唸った。そして全体の印象は、カンフーの達人のように、肩にぜんぜん力が入ってない、脱力しきってるのに、いざ敵が襲ってくるとメチャメチャ強い。そんな感じ。トレードマークのサスペンダーをして、からだ全体に丸みを帯びていて、「今、山から降りてきたばかりの仙人」のようであり、また「誰もが好きにならずにいられないパンダ」のような雰囲気を醸し出していた。

 ヴィデオ・アートの創始者であり、浅田彰氏いわく、「ダダイズムのラジカルさとタオイズムのユーモアをもったアーティスト」。白南準。韓国生まれ。日本とドイツで学び、93年のヴェネツィアビエンナーレではドイツ代表としてグランプリを受賞。アメリカ在住。そして、日本語はペラペラ。「世界的なアーティスト」というのは、よく使う表現だけれども、パイクさんは本当に、ワールドワイドな人だった。パイクさんに国境はない。国境なきパイクさん。コスモポリタンという概念を、私はパイクさんによって理解したような気がした。誰がつけたのか「電波遊牧民」というキャッチフレーズ(?)がよく似合っていたが、その意味でも、パイクさんは預言者だった。

 記者会見で、ヴェネツィアビエンナーレでグランプリを受賞した感想を聞かれたパイクさんは、「やっとこれから、という感じだね」と、ポツリとつぶやいた。すでに巨匠なのに「やっとこれから」。61歳(93年当時)にして「やっとこれから」。けっして韜晦ではなく、素直に、本心を語っているのにちがいなかった。まだまだこの先に登らなければならない大きな山を前にして、決意をあらたにしているようであり、とはいえ、いたって淡々と、おのれの信じる道を進むだけ、といったふうだった。シビれた。ちらっとお会いしただけなのに、パイクさんの印象は私のなかでずっと鮮烈だ。ワイズマン(知恵の人)でありトリックスター。深遠な思想を秘めつつ、やんちゃで愛嬌たっぷりな作品群は、やはりパイクさん本人をそのまま反映しているのだと思う。

 

(再録ここまで)

 

なお、上記の記事中、「ナム」と「ジュン」のあいだに中グロを入れるのは、展覧会名に揃えましたが(英語圏だとNam June Paikという表記なので、それを日本語にすると中グロを入れることになる)、奥様の久保田成子さんの著書名は『私の愛、ナムジュン・パイク』となっています。

久保田成子さんの『私の愛、ナムジュン・パイク』はアーティストの伝記としてもカップルの愛の記録としても、とってもおもしろい本です。久保田さんは、パイクさん本人に会う前から、青年パイクさんのハンサムなお顔が載った新聞記事を壁に貼り、毎日眺めては「この男をいつか自分のものにするぞ」と呪文を自分にかけていたそうです。そして「絶対にこの男を摑まえる」ために「私も有名なアーティストになる」と決意して、その夢をかなえたのでした。すごいですね。

 

私の愛、ナムジュン・パイク

私の愛、ナムジュン・パイク