cloverbooks' journal

古橋悌二「LOVERS-永遠の恋人たち」

古橋悌二さんの展覧会「LOVERS-永遠の恋人たち」が開催中です。

2016年7月9日(土)〜 7月24日(日)、京都芸術センター 講堂にて。

詳しくはこちら→ http://www.kac.or.jp/events/18969/

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残念ながら、私は東京で仕事なので見に行けませんが、「LOVERS」は本当に本当に素晴らしい作品です。

1994年の初展示のときの、古橋さんへのインタビューはこちらです。

 

 

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2回目に「LOVERS 」を見たのは、2005年にICCで。その後に、以下のような文章を書きました。

 

2005年、「アート&テクノロジーの過去と未来」展@ICCで、ひさびさに、古橋さんの『LOVERS 永遠の恋人たち』を拝見することができました。はじめて見たときから10年以上が経ち、あらためて感じることがありました。

暗い部屋の中で、観客の動きにシンクロしながら映像が壁に投影されるのですが、投影された古橋さんの裸のからだの上に、「fear」「limit」という言葉が重なります。やがて古橋さんのからだは、「fear」「limit」から解き放たれるように暗闇のなかに落下していきます。

私たちは自分の「fear」と「limit」で自分を縛っています。それらから解放されて落下する古橋さんの姿に、法隆寺にある玉虫厨子の「捨身飼虎図」の、崖からダイブするお釈迦様の姿が重なりました。「捨身飼虎図」で崖から飛び降りたお釈迦様は、自分のからだを虎に食べさせています。それはエネルギーの循環の図です。私は飛鳥・奈良時代仏教美術にはダウジングの棒のように全身全霊が反応してしまうのですが、この「捨身飼虎図」も大好きで、そして『LOVERS』には同じ波動を感じるのでした。

「新しい人間関係の海へ、勇気をもってダイブする」

94年に、「この作品を一言で表現するとしたら?」と質問したとき、古橋さんはこう答えてくれました。『LOVERS』で、古橋さんのからだが落下して消えたとき、そこにあるのは、羊水のように温かい暗闇です。古橋さんの精神、思想の遺伝子は、作品をとおして、たくさんの人に受け継がれていくのだと思いました。

もうひとつ、古橋さんの言葉で、すごく印象に残っている言葉があります。表現はちょっとちがっていたかもしれませんが、私はつぎのように記憶しています。

「アーティストは道端に落ちているゴミのような存在。でも、道端のゴミが、実はダイヤモンドだっていうことを見せられるのがアート」

 

雑誌『WALK』no.54(2007年、水戸芸術館ACM劇場)

 

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それから、雑誌『pen』2006年11/15号の特集「いま世界には、アートが必要だ。」内の「識者10人が選んだ、展覧会ベスト5」でも、「LOVERS」について書いてました。

どんだけ好きなの!って感じですが、ものすごく好きなんです。

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